「初戦闘まで1時間」──これはドラクエ7を語るとき、必ず出てくるフレーズです。
2000年に発売された『ドラゴンクエストVII エデンの戦士たち』は、戦闘が始まるまで異様に長いゲームとして知られています。
島にある遺跡の中に入るまでのストーリーが長い。
やっと遺跡ダンジョンに入っても、モンスターが出てこない。
この“もどかしさ”は、当時多くのプレイヤーを戸惑わせ、「テンポが悪い」「退屈」と言われることもありました。
しかし──本当に、あの長い序盤は「欠点」だったのでしょうか?
実は、ドラクエ7の長い序盤こそが、物語の核心なのではないかと思うのです。
クルエイチその理由は「世界がまだ存在していない」から。
序盤が長い理由
ドラクエ7の序盤が「長い」と言われる理由は、単にテンポやシステムの問題ではありません。
その長さの裏には、“世界が存在しない状態から始まる物語構造”という、極めて意図的なデザインがある…と思っています。
理由①:「世界が閉じている」から物語が始まらない


ドラクエ7の舞台は、海に囲まれたフィッシュベルという小さな島。
世界地図は実質なく、外の世界の存在も知られていません。
村人たちは「この島が世界のすべて」と信じています。


つまり、プレイヤーが最初に操作するのは──“世界が存在しない状態”の世界なのです。
他のドラクエシリーズでは、序盤で世界を救う使命が与えられ、すぐ戦闘が始まります。
しかしドラクエ7では、そもそも「敵」も「危機」も存在しない。
この構造が、他のRPGやドラクエシリーズにはない“静寂の導入部”を生んでいます。
理由②:「石版集め」は世界を創る物語


プレイヤーが最初に行うのは、戦闘ではなく「石版探し」。
これがドラクエ7独自のシステムであり、物語上も象徴的な要素です。
石版を集め、遺跡の祭壇のような場所で組み合わせると、失われた大地が復活し、過去の世界が蘇る。
つまりドラクエ7の冒険は、「すでにある世界を旅する」のではなく、世界を再構築していく物語なのです。
序盤でプレイヤーが退屈に感じる「探索」や「何気ない会話」こそが、実は“創世の準備段階”だったということ。



この最初の1時間は、「世界を創る前の時間」です。
プロローグではなく、「創世記」そのものだと言えます。
理由③:「戦闘が始まらない」ことの意味


なぜ戦闘が1時間も始まらないのか?
それは、“まだ敵が存在しない”からです。
ドラクエ7では、石版で過去の世界を蘇らせると、ようやくモンスターが現れます。
つまり、プレイヤーが世界に“命”を吹き込むことで、初めて戦いが始まる。
この構造は他のRPGとは真逆です。
「モンスターが現れるから世界を救う」のではなく、「世界を創ったからこそ、善と悪が生まれる」。



戦闘が遅いのは、世界に「生命と対立する存在」が生まれるまでの“間”を描いているからなのでは?
理由④:閉鎖世界と少年の“外への憧れ”
主人公と幼なじみのマリベル、そして王子キーファ。
彼らは「外の世界が本当にないのか?」という疑問を持つ、唯一の若者たちです。


この物語は、彼らが「大人の作った世界の限界」を疑う物語でもあります。
「この島が全て」という閉鎖的な社会で、外を目指す──それはまさに、思春期の比喩ですね。
序盤の1時間で描かれるのは、単なる“チュートリアル”ではなく、「外に出たい」という人間の原初的欲求の目覚めです。ちょっと大げさに言えば…ですが。
理由⑤:神話的構造としての「世界創生」
ドラクエ7は、シリーズの中でも最も“宗教的”な物語構造を持っていると思っています。
神?運命?に守られた、唯一生き残った島の世界から始まり、人間の手で失われた大地を取り戻していく。
この流れは、旧約聖書の「創世記」や「出エジプト記」に近い構造だなぁと感じます。
つまり、ドラクエ7は“神に頼らず世界を再生させる物語”なのです。



「出エジプト記」の中の、虐げられていたユダヤ人をモーセが率いてエジプトから脱出する物語に重なりませんか?
助けてくれる神様がいないから、モーセが神になる的な。
プレイヤーも最初の1時間でモーセ的な“創造主の立場”を体験します。
世界が完成していく過程を自分の手で歩むからこそ、他のドラクエにはない“重み”と“達成感”が生まれている気がします。
ドラクエ7の序盤が“異質”だった理由
平成RPGの中で際立った存在
2000年前後のRPGは、「テンポの速さ」と「映画的演出」を競う時代でした。
『ファイナルファンタジーIX』や『クロノ・クロス』では、序盤から戦闘・イベント・ムービーがテンポよく続き、
プレイヤーが“世界に浸る前に物語が始まる”よう設計されていました。
そんな中で登場した『ドラクエ7』は、まるで時代に逆行するかのような“スローRPG”でした。
戦闘まで1時間は、行動よりもセリフ主体の会話ベースの導入部が続き、島から出られない構造。
それは“遊びやすさ”よりも、“世界の空気を体験させる”ことを重視した設計でした。
平成RPGが求めた「映画的テンポ」との対比
当時のプレイヤーがドラクエ7の序盤を「遅い」と感じたのは当然です。
2000年以降、ゲーム業界はテンポを上げる方向に進みました。
同時期のRPGは、当時流行だったポリゴン技術を駆使し、オープニングムービーで一気に物語へ引き込み、即戦闘・即展開が当たり前でした。



ゲームによっては序盤に何個もムービーが流れるものもあったり。
しかしドラクエ7は真逆でした。
ムービー演出を最小限にし、代わりに会話と探索で物語を構築します。
“ゲームを進める”のではなく、“島での時間を過ごす”ことそのものが序盤の目的になっていた気がします。
3D化の過渡期がもたらした“間”のデザイン


技術的にも、当時のドラクエ7は独特の存在でした。
初のフル3Dフィールドながら、視点回転やマップ設計はまだ実験段階。
プレイヤーに“探索の手触り”を覚えさせるため、あえてテンポを緩めていた節があります。
それは単なる操作慣れのためではなく、「未知の世界を自分の手で確かめる感覚」を重視した結果。
だからこそ、石版を見つけた時の感動が今も記憶に残るのです。
リメイク版に受け継がれる“序盤の哲学”
その後、3DS版やスマホ版『ドラクエ7』では、序盤のテンポが大幅に改善されました。
移動速度アップ、会話テンポの短縮、石版ヒント機能の追加。
当時の「長すぎる序盤」問題は、現代的にチューニングされています。
しかし注目すべきは、テンポが変わっても“序盤の本質”は変わらなかったことです。
リメイク版でも残された「閉ざされた世界」
3DSリメイク版でも、物語はやはりフィッシュベルから始まり、世界が閉じているという設定はそのまま。
戦闘までの時間こそ短くなったものの、「外の世界が存在しない」という導入は、依然として物語の核にあります。
正直、最初から失われた世界があるが復活方法が分からない、というスタートになるかもという予測はありました。
その方が、エスタード島の遺跡を簡略化でいて、序盤のストーリーがちょっと早く進めるので。
それ良い意味で裏切られて、ストーリーがそのままリメイクされた点は評価できると思います。
現代のプレイヤーが感じる“スローな時間”の価値
SNS時代の今、私たちは速いゲーム展開や短時間クリアに慣れています。
そんな現代で再びプレイするPS版ドラクエ7の序盤は、かえって「時間を味わう贅沢」として感じられるかもしれません。・・・感じないかもしれません。
序盤の静けさ、村人との長い会話、石版を探す小さな発見。
それらは「焦らず進むRPG」がほとんど失われた今、貴重な体験になっています。
ドラクエ7リメイクが評価される理由は、テンポの改善だけではありません。
その根底にある“世界が存在していない序盤”という哲学が、現代でもきちんと受け継がれているからです。



自分もタイパ重視になれつつあるあるので、正直PS版の序盤はちょっとウザイと感じる…
結論:ドラクエ7の序盤は「遅さ」で語るRPGだった
ということで、ここまでの内容をまとめてくれ、ChatGPT様!
平成RPGの時代に“速さ”ではなく“間”を選び、リメイク時代になっても“沈黙の物語”を保ち続けた──。
ドラクエ7の序盤は、単なる導入部ではなく、「世界が生まれる前の静寂を描く物語」として時代を超えて存在しています。
だからこそ、今リメイクを前に振り返る意味がある。
ドラクエ7の“長い序盤”は、平成と令和をつなぐゲーム史の静かな証言なのです。



ちゃんとまとめになってるか?これ…
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